5.日本は神様に守られている
(1)宇陀の墨坂(すみさか)の合戦
宇陀の墨坂(すみさか)の合戦と言いまして、神武天皇と長髄彦の合戦というのがあったんです。合戦場いうのはどこもそうなんですけども、地球上の人の思いの波がガーっと集まってきた所なんで、それをドンチャンやって綺麗にプラスマイナスゼロにして新しいものが生まれていく形になってるんです。
ー浄化されるんですね。 じゃあ合戦は必要があってやってるわけですか?
そうなんですよ。
墨坂の合戦に由来して墨坂神社いうのがあります。神武天皇陛下が長髄彦と合戦をした場所に祀られた神社です。合戦した後、必ず綺麗になるんですね。で、ちゃんと神社を建てて、ほんで美しくする。
三重県の榛原町いうとこに、近鉄榛原いう駅があるんです。その降りたすぐに墨坂神社というのがぽつんとあるんです。
もう一つ、長野県の須坂市という所にも合戦由来の墨坂神社があるんです。 墨坂神社いうのはこの2軒だけなんです。
須坂市というのも宇陀の墨坂の名前に由来してるんです。須坂市の真ん中に墨坂神社があるんですけど、大体この神社があって須坂市ができたみたいな感じです。
その須坂市で、明治になって墨坂神社で蚕を祀ってお蚕さんで富国強兵して、ほんで外国からの勢力を防いだんです。神様の働きなんです。
だから墨坂神社には明治天皇の従兄弟の小松宮彰仁親王の扁額がいまだに掛かってるんですよ。びっくりしますよ。
宮さん宮さん、お馬の前で…という歌あるでしょ、あの宮さんや。
18 歳で仁和寺の館長をされてたんやけど、明治政府になるから一緒に来てくれいうて。
明治天皇は 16 歳で天皇陛下になったんですよ。18 歳の坊さんを引き抜いて、そんで2人で東京に行ったんです。そういう経緯があって、宮さんの扁額があるいうことは、間違いなく天皇家が肝入りでその神社に働きかけてるわけですわ。天皇家が確実にそこをピシッと大切にされてたいう事なんです。
扁額って、本堂の真前のところにこう、何々寺とか、何々神社って書いてるやつのこと。
ーそこにこの人の名前があるんですか?
墨坂神社、って書いて小松宮彰仁親王って書いてんですね。
普通天皇家の名前なんてそんなに出さない。大抵陸軍大将とか、そんなんばっかりなんだけどね。今だにそれある。
僕行った時は、本堂の中にボンボンいうような振り子時計置いたりとかね、地面が犬のうんこ場だったりとか酷かったんです。もう40年以上前のことです。ほんでちょっと有力の人になんとか綺麗にしてくれって言ってなんとかしてもろうたんです。
神社の人は全然うこういうことは一切知らないんです。
蚕がなくなった後は、次にこの土地に古河電気とドイツのシーメンスが合同会社作ったのが富士通なんですよ。富士通が電気で大きくなって日本の国を守ったの。
明治に日本が列強からやられるのを蚕で防いで、その後終わったら今度はドイツのシーメンスと古河電気が合体して富士通の本拠地になって日本を重工業で救った。そういう世界。
だからとんでもない場所だったんです。
92 歳まで長生きした浮世絵の葛飾北斎もずっと長野の須坂へ毎年来てたんですよ。
松尾芭蕉のヤセ蛙負けるな一茶これにあり、もこの土地からなんです。
ずーっと神様の土地へ全部人が集まってくるんです。
文化系の働きいうのは全部神様が縦に光を下ろしているんで、それが日本の土地に降りて、日本国に広まって、地球レベルに広がるようになってるんです。
続く